INTERVIEW 042
GRADUATE
長野櫻子
美術作家?アニメーター/2024年修了
「自分がジャンルになればいい」IAMASで広がった表現の可能性
アニメーションをベースに制作を続ける長野櫻子さん。一時は作品の作り方がわからなくなり、IAMASを休学した彼女は、2年間の自問自答を経て、孤独をテーマにした作品を完成させることで復学、卒業を果たし、再び作家として力強く歩み続けています。IAMAS入試時から印象に残っていたと振り返る松井茂教授とともに、表現の可能性を広げ続ける彼女の軌跡を辿ります。
アニメーションにフィジカルな要素を
松井:長野さんは広島市立大学芸術学研究科を修了し、一度修士を取得していますね。なぜIAMASに進学しようと考えたんですか。
長野:ずっとアニメーションを描いていると、作るときも鑑賞するときもほとんど体が動かない。自分は体を使って生きているはずなのに、身体性を伴わないのは不健全じゃないかと思うようになり、インタラクティブアートまではいかなくても、もう少しフィジカルな要素を入れた作品を作りたいと考えるようになりました。広島で制作を続ける選択肢もありましたが、新しい分野に挑戦するのであれば、その分野や近しい分野の先生に指導してもらった方がいいのではと進学を検討していました。
松井:IAMASのことは知っていました?
長野:広島市立大学からIAMASに進学した先輩、後輩がいたので、存在は知っていたのですが、詳しいことは知らなくて……。IAMASの読み方も知らず、「アイマス」と読んでいました(笑)。
松井:その先輩と後輩は?
長野:都築透(2013年卒)さんと永田美樹(2016年卒)さんです。IAMASの修了作品にはデジタルな要素が取り入れられていて、学部で学んだことを軸にしながら作品を発展させていました。それを観て、私もIAMASなら、アニメーションをベースにしつつ、フィジカルなことができそうだなと感じて受験しました。
松井:でも、入試の時にみた縄跳びの作品『jump rope』には、既にフィジカルな要素が含まれていたよね。鑑賞者が参加しないと体験ができないアニメーションで、「こんな作品を作る人がいるんだ」と、新しい挑戦をしている作家だと、印象に残りました。
実際にIAMASに入学してどうでした?
長野:IAMASに入学するために縄跳びの作品を作って、こういう研究を続けたいという話をしたのですが、そもそもこのような作品を誰に見せていいのか、評価してくれる人はどこにいるのか、この作品をよりよくするためにどうすればいいのかが当時は全くわからなかったんです。
松井:?あの時点では、どこかに発表したわけではなかったよね?
長野:していないです。IAMASで出会った得意分野の違う同級生から、「もっとこうしたら音が良くなるよ」とか、「展示の方法はこうした方がいい」と色々とアドバイスをもらって、ブラッシュアップしてから発表することができたので、IAMASに来てよかったなと思いました。
松井:?最初は前田(真二郎)先生に見てもらったのかな。
長野:そうです。正直なところ、インタラクティブではないけれど、映像を使っていて、フィジカルっぽいものが、どういうジャンルの作品になるのかわからなかったんです。だから、IAMASが各学生のやりたいことを自由に研究できるシステムの学校で、無理やり既存の枠に入れられずに作品制作ができる環境だったのはすごく幸いでした。

作品の作り方がわからなくなり、IAMASを休学
松井: 『rope jumping』は、『2018 アジアデジタルアート大賞展 FUKUOKA』のインタラクティブアート部門で入賞し、何度か再展示をした。その数ヶ月後に『multi faceted』という人物の背面のみのアニメーション作品を発表するなど、順調に制作を進めていたと記憶していますけど。
長野:『multi faceted』は年次制作ですね。
松井: 『one side or between』はアニメーションなんだけど静止していて、静止しているんだけど静止画ではなく、静止している人がアニメーションになっているという作品で、何だか不穏な作品でした。映像インスタレーションというと実写が多いんだけど、アニメーションでというところが僕には新鮮だったのでよく覚えています。
その後、取り壊しが決まった羽島市勤労青少年ホームで、その場所をトレースして、記録を記憶に残すみたいな主題というのか、サイトスペシフィックな作品『羽島市勤労青少年ホームのための3つの視点』を制作しましたね。
1年生の時の長野さんは、インタラクティブ、映像インスタレーション、サイトスペシフィックと、コンテンポラリーアートの引き出しになるような方法論の歴史を自然に段階的に発展させていました。当時担当していた前田さんも伊村靖子さんも僕も、長野さんのことを現代アートの申し子みたいに見てたんですけど。
長野:そんなことはないです。でも1年生の頃は、とにかく自分で色々とやってみて、それを楽しんでいる感じでした。
松井: でも、その楽しさに突然影が忍び寄ってきたわけだ。
長野:そうなんです。1年生の時は、こうしたら面白いんじゃないかと自分なりに考えて、先生や同級生にアドバイスをもらいながら、手を動かして作品を作るということを繰り返していました。でも2年生になって、修士の研究として、一つの研究、一つの作品を突き詰めていくアプローチがわからなくて……。
今思うと、先生方から色々な示唆をもらっていたんです。例えば、「この本を読んでみたら」と先生に勧められて読んではみるんですけど、先生が本を読むことで汲み取ってもらいたい意図を理解するよりも、その本の内容を理解することに精一杯になっていました。どうしたらいいかわからないまま、修士研究の締め切りがどんどん近づいてきて、気持ちだけが焦って、追い込まれていきました。
松井: 僕たち教員は、その本を理解してほしいというよりは、その本を読むことによって次の段階に進んでほしいとか、いろいろな意図をもって思って勧めたりします。だけど、それが学生に伝わらないことは起きてしまうんだよね。
長野さんは2年生になってから作品作りに苦しんでいたということですが、その中でも夏には『対馬アートファンタジア2019』へ参加しています。アーティストインレジデンスとして、対馬で制作?発表するサイトスペシフィック作品を修士研究にすると聞いて、我々教員としてはぜひやってくださいという感じだった。でも、それもうまくいかなかった。あの時は何が起こっていたのですか?

長野:対馬に行ってはみたものの、本当に何をしたらいいのかわからなすぎて……。レジデンスの成果として『inside frame / outside frame』を展示したのですが、自分としては納得がいったものではありませんでした。
修士の発表の時も「自分は何を発表しているのだろう」という状態だったので、あそこで落ちてよかったなという思いがすごくあります。もしあのまま卒業できていたら、作品を作らない人生になっていたんじゃないかと思うので。
松井: 対馬の作品がうまく行かなかったという判断を、長野さんと主担当だった伊村さんが下した。それで、修士研究をどうしようかという話になったのだけど、ずいぶん練ってきたアイデアだったから、それがうまくいかなかったからと言って、急には方向転換ができなかったことは想像できます。
長野:もう、どん底でした。作品の作り方がわからなくなっていたので、2019年の冬に修了制作展を見送ることを決めた時点で、本当は辞めようと思っていたんです。
松井: 伊村さんも「長野さんが辞めると言っている」となんか困っていたことを思い出します。期待してた学生が思い詰めてるときって、教員も辛いんですよね。
長野:だから、思わず「辞めます」ではなく、「休学します」と言ってしまったんです。
松井: 休学して、すぐに地元の福岡に戻ったの?
長野:2020年の4月から休学して福岡で就職をしたのですが、それまでの約3ヶ月はIAMASにいて、何かしら形にできるのではないかと願い続けて、最後まで制作を続けていました。その間に展示も2回行いました。
松井: どんな展示をしたんですか?
長野:休学前の最後の展示は、新聞の上にアニメーションを書いて流すというものでした。展示をする機会をいただいて、今のどんよりした気持ちをどうにか解消するために、少しでも明るい方向を向けるようにと、リルケの手紙をベースにした『I go to the sea』という映像インスタレーションを制作しました。
松井: それがテキストを作品に使い始めた最初なんだね。
長野:そうです。愛妻家のリルケが、離れて暮らす妻に会いたいという気持ちを綴った手紙の中に、不安に駆られたり悲しい気持ちになったりしたら海に行きますという文章があって、それに共感を覚えました。というのも、広島で大学生活を送っていたので、海が近くにあって、休日に海辺に行ってあることがリフレッシュになっていたなと。リルケのテキストを見た時に、海の音を聞くことが自分にとって精神安定になっているんじゃないかと思ったんです。
ちょうどダイヤモンド?プリンセス号の新聞記事が毎日のように出ていた時期だったので、その新聞記事の上に波の絵を1枚1枚描きました。
作品を完成させることで、自分自身を救えた
松井: なるほど。ダイヤモンド?プリンセス号ということは、コロナ禍がはじまった頃に福岡に戻ったということだね。
長野:そうです。「もう作品のことは考えずに働こう」と思っていたのですが、広告系のCG会社だったので、コロナで撮影とか新商品の発表がなくなってCMを作る仕事がなくなってしまったんです。
松井: 時間ができた。とはいえ、すぐに作品を作りはじめたわけではないよね。
長野:1年くらいかかりました。それまでは反省の1年みたいな感じで、なぜあの時の自分の作品はダメだったのだろうかと考えはするけど、わからないから考えるのをやめる、みたいなことを延々と繰り返していました。でも、あの期間にちゃんと考えることができたことが最終的な修了制作につながったので、必要な時間だったと思います。
松井: 作品制作を再開するきっかけはあったの?
長野:ひとつのきっかけとしては、高校卒業以来10年ぶりに地元に戻って、親と近い距離で生活をしはじめて、一人の大人として家族と向き合った時に、なんとも言えない疎外感を感じたことがあります。
松井: 疎外感?
長野:自分も自立して生活していて、広島、岐阜で過ごした中で得た価値観や考え方がある。それが親の考えとは微妙に違ってきていると、会話する中で感じることがあって。家族という近い存在でも、完全にはわかり合えるわけではないんだなと心の隔たりや孤独感を感じて、これを作品にできるんじゃないかと思ったんです。
松井: 面白いですね。家族とのある種のズレは表現のきっかけになりますね。どんな家庭にだってにも多かれ少なかれ問題はありますから(苦笑)。
長野:最初は自分自身のことを作品にしようと思ったのですが、たまたま同業者の女性が集まる会があって、家族や恋人に対して同じような孤独感や隔たりを感じている人が多いと知りました。
これは私だけの問題ではなく、同世代の女性の中で共有できる大きなテーマかもしれない。そうであれば、私の個人的な話を作品にするのではなく、周りの人から話を収集して、一般化したテーマとして作品化した方が多くの人に伝わるのではないかと思い、初めてインタビューをいう手法を作品に取り入れました。
幸いにも足彩澳门即时盘_现金体育网¥游戏赌场3年度FFACステップアップ助成プログラムとして助成金をいただくことができ、最終的に展示をするというルールがあったので、どのように人に見せるかを並行して考えながら作品を作りました。
松井: 僕の知る限り、長野さんは作品制作の際に先に言葉にするタイプではなかったように思うんですよ。その時は先に設計図を作って制作したわけだ。
長野:おっしゃる通り、それまでの私は先に言語化するタイプではなかったです。でも、自分が何を作りたいのかわからなくなって、一旦作るのをやめた後、「これを作りたい」という意欲が出てきた時に、これを実現するためにはどうすればいいかのステップがポッと思い浮かんだんです。映像を作るだけでなくどう展示するか、どうすれば観る人が理解しやすいか、IAMASにいた頃によく言われてきたことが生きたのかもしれません。
松井: 再び作品を作ることができて、展覧会もできた。それが自信となって、IAMASに復学しようと考えたということなんだ。
長野:そうですね。こういう作品を作りたいと思い、それを完成させることができた。しかも、展示をして、作品を介して全く知らない人とコミュニケーションを取ることができたという感覚をはじめて得ることができました。
作品を作れない、IAMASを辞めなければというところまで追い込まれていた自分を、自分で救うことができたんです。今の自分だったら、IAMASに戻って、やりかけていた研究をちゃんと終わせることができるんじゃないかと、復学を決めました。
松井:僕としては、展覧会も計画されたものだったし、展覧会後まとめたテキストも読み応えがあった。展覧会を直接観たわけではないけど、女性の孤独というテーマについても異性の僕が理解できる内容にまとめられていたので、長野さんはこれで卒業でいいんじゃない?と感じていました。だから、「復学するの?!」と正直驚きましたね。
長野:復学した時に、松井さんに「戻ってくると思ってなかった」と言われた記憶があります(笑)。
松井:しかも、全く違う作品を修士研究にするということにも驚いた。
長野:自分でも修士研究になぜひらがなの作品を選んだのか記憶が曖昧なんですけど、ちょうどコロナ禍で学校の授業がほぼオンラインだったし、福岡に生活の基盤ができていたので、福岡にいながらできる研究をしようという打算はありました。
松井:今の話で思い出したのですが、長野さんは在学中にタイムベースドメディア?プロジェクトの中で配信の作品を制作していましたよね。配信芸術!それも、ジェンダーをテーマにした作品で、美術の中でこの時代に扱うべきテーマがすべて、長野さんのポートフォリオに並んでいるなぁ。それがあっぱれなんです。やはり、現代アートの寵児ですよ。
長野:いやいや。今だから話せるのですが、1年生の時に所属するプロジェクトを選ぶ決め手がなくて、あみだくじとか、ありとあらゆる手段を試したのですが、全部タイムベースドメディアになったんです。
松井:それはすごいなあ。
長野:なぜそんなに色々と試したかというと、自分では絶対にタイムベースドではないだろうと思っていたんですよ。でも全部タイムベースドメディアになったので、観念したんですけど、あのときくじを信じて、タイムベースドでジェネラティブなストリーミング作品を作っていてよかったなと思っています。
松井:そうですね。それが復学後にコロナ禍の状況とも重なって、配信アニメーションという修了作品につながったわけだから。
加えて、修了作品の『とうめいなもじ こえのないことば』はアニメーションであると同時に、言葉の表現、もっと言えば詩でもあるとも言えますね。

とうめいなもじ こえのないことば(2022)
長野:松井先生の申し子ですから(笑)。実はあの修士の作品は今も発展を遂げていて、展示する場所の住所のひらがなだけで五七五を生成する作品になっています。iPadに五七五が表示されるようにして、“動く書”のように額装して和室に飾ったりしています。

“動く書”の形での展示風景
松井:それはいいね。
長野:さらに、できた五七五のスクリーンショットを撮って、印刷して販売したりもしています。
松井:本にしたらいいんじゃないかな。
長野:本にもしたんです。文学フリマで売るために、開催地のビッグサイトの住所でプログラムを作り直して、書き出されたものをまとめて冊子にしました。
松井:すばらしい。あのまま終わりにしてしまうのは残念だなと思っていたので、作品が続いているのは嬉しいです。
死ぬまでに作りたい作品
松井:この次はどのような作品を作りたいと考えているんですか? 現代アートの進むべき道を知りたいな。
長野:今年6月に初めて絵だけの個展『山のあなた空遠く』をして、今は次に向けて模索しているところです。

山のあなた空遠く(2025)

山のあなた空遠く(2025)
長野:実は私は死ぬまでに作りたい作品が1つあるんです。テーマや構成はずっと考え続けているのですが、自分の人生経験が足りていないので、まだ固まっていないのですが……。
松井:どういう人生経験が必要なんですか。
長野:生と死の経験値です。出産や身近な人の死など肉薄した体験がないので、今はまだ描けないなと思っているんですけど、そういう人間の精神を、山をモチーフにしてアニメーションで描くことが最終的な目標です。
松井:なるほど、今回の山の絵はその第一段だったということですね。
長野:そうです。今回は絵画でしたけど、IAMASで学んで本当によかったなと思うのは、ジャンルに縛られず、表現の幅をボーンと広げてもらったことです。
在学中に伊村さんに「ジャンルに属した作家になるのではなく、自分がジャンルになればいい」と言っていただいたことがあるんです。当時は、作品の作り方もわからなくなっていたので、そんなところまでいけないという感じだったのですが、IAMASをちゃんと卒業して、制作を続けているうちに、個人的なことをテーマにして作品を作ることが自分のひとつの軸になって、最終的に自分のジャンルになるのではないかと考えられるようになりました。
松井:伊村さん、良いこと言うね。 最終的には「長野櫻子のやっていることがアニメーションだ」となるといいですね。今後も期待しています。?

取材: 2025/07/08 足彩澳门即时盘_现金体育网¥游戏赌场[IAMAS]
編集?写真: 山田智子